2026/08/15 18:33

画家・川上智久さんへの取材インタビュー【後編】をお届けします。
【前編】では「生生流転」というテーマの原点や、エスキースを重ねる密度の高い制作プロセスについてお話しいただきました。
後編では、川上さんがe-ART-h kikakuに応募された経緯をはじめ、画面の中の「余白(白)」に隠された意味、作者の感情を排して描く「見ゆ」の姿勢、そして制作ペースや今後の活動への想いについて、発言内容を削らず全記録でお送りします。
【後編】目次
1.e-ART-h kikakuへの参加と自身の表現スタイル
2.画面に宿る余白と「見ゆ」の視点、下地へのこだわり
3.制作のペースとこれからの発表のかたち
4.おわりに:これからの「生生流転」に寄せて
1. e-ART-h kikakuへの参加と自身の表現スタイル
川田:日本画の制作方法を私も母の背中から覗いた程度でしか知らないのですが、川上さんは、ご自分でさまざまな技法を研究されていて、普通なら大御所や大家、巨匠が並ぶ団体に所属してピラミッドの頂点を目指すような道もあったと思うのですが、そういう世界ではなく、この新しいe-ART-h kikakuという、ほぼ無名のコアなWEBに応募したきっかけはどういう経緯ですか?
川上:公募団体には大きな意義があると思っています。短い期間ではありましたが、私自身もそうした場で学び、多くの刺激をいただきました。
e-ART-h kikakuに応募した理由は、以前から川田さんのYouTubeチャンネルを拝見しており、その活動をとても尊敬していたからです。企画を知り、ぜひ参加してみたいと思い応募しました。
また、企画が始動して活動内容を拝見するにつれ、e-ART-h kikakuの魅力は、一人ひとりの作家と丁寧に向き合い、その背景や考え方まで含めて紹介しようとされている姿勢にあると感じています。
絵画は作品そのものをご覧いただくことが何より大切ですが、その作品がどのような時間や経験の中から生まれてきたのかを知っていただくことで、鑑賞もより豊かなものになると思っています。
今回、このような形で制作についてじっくりお話しできる機会をいただけたことも、大変ありがたく感じています。
今後も私の作品を必要としてくださる場所があるのであれば、その都度ご縁を大切にしながら、発表を続けていきたいと思っています。
川田:また、巨匠の作品が残されていることも十分に認識して、尚、荘厳なテーマに敢えて取り組み、しかし一方で、それとは真逆な現代風なややポップさも取り入れている。川上さんのこの相反したものを統合する力に、多くの人が魅了されて行くと私は確信しています。このアイデアは偶然ですか?それともご自分に元々ある気質のようなものでしょうか?あるいは野心に近いものでしょうか?
私にはアンディ・ウォーホールの野心のようなものにも感じられるし、また一方では、土地柄(ジーンズの町)、アパレルの世界が身近で、カジュアルな空気感というものをご自分の作品世界に上手く取り入れようという意識が自然に生まれているのかな?とも思っているのですが、そのあたりを詳しくお話し頂けますか?
川上:ウォーホールとの共通点をご指摘いただきましたが、私自身は特定の様式や作家を意識して現在の表現に至ったという認識がありませんでしたので、そのご指摘はとても新鮮でした。
ただ、お話を伺っていて1つ思い当たることがあります。それは、「自らは対象を見つめる立場でいたい」という感覚です。
私の作品の舞台は、人のいない架空の熱帯雨林です。制作をしているとき、私はその世界の出来事を作り出しているというより、その場所へ赴き、生命の循環を静かに見つめているような感覚です。
花が咲き、果実が実り、種が落ち、雨が降り、新たな生命が芽吹く。その営みを静かに見つめ、その気配を画面に定着させたいという思いで制作しています。
そのため私は、できるだけ作家である私自身の感情や手の痕跡を画面に残さないよう意識しています。鑑賞者さまには、私という存在よりも、作品そのものと静かに向き合っていただきたいと考えているからです。
この点は意図こそ異なりますが、シルクスクリーンという技法によって作者の痕跡を抑えたウォーホールの方法論と、どこか通じる部分があるのかもしれません。
作品の色彩やリズムに親しみや軽やかさを感じていただくことがありますが、それはポップさを意識して取り入れたというより、生命そのものが持つ豊かさや明るさを素直に表現した結果なのだと思っています。
それゆえに、「生生流転」というテーマと絵柄が相反して見えるというご意見は、私にとって意外であると同時に、とても興味深いものでした。私自身は、意図して対照的な要素を組み合わせたというよりも、1つのテーマについて長く考え続けた結果、自然と現在の画面へ収斂していったものだと考えています。
地元は古くから繊維産業が盛んな地域で、現在ではジーンズの町、そして瀬戸大橋の架かる町として知られています。その土地で育ったことは、間違いなく私自身に影響を与えていると思います。ただ、その影響が直接作品に表れているかと問われると、自分でもはっきりとは分かりません。
強いて挙げるとすれば、瀬戸内の穏やかな海や、その向こうに連なる島々の風景は作品に影響していると思います。
2. 画面に宿る余白と「見ゆ」の視点、下地へのこだわり
川田:「自らは対象を見つめる立場でいたい」という感覚、とても魅力的な言葉です。この言葉一つからも、川上さんの作品がいかに魅力的であるか、その秘密を解き明かすことができそうです。
私は、万葉集の
「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
と言う歌が一番好きなのですが、万葉の時代に、この短い1文の中に、大宇宙を舞台とする大きなドラマが展開しているからという理由だけでなく、最後の「見ゆ」に、画家としてハートを撃ち抜かれてしまうからです。
この万葉集には、ほとんどの場合「見ゆ」なのですが、その後の和歌は「思ほゆ」になっていくことを本居宣長が指摘していて、そこから、日本人の世界観が変わって行ったことがわかる、という指摘があるのです。そういう意味で、川上さんの視点は、まさしく万葉びとの世界観そのものです。
個性を表現することは「思ほゆ」なのだと思って描かれている絵は、確かにその人自身の実情が表現できているのかもしれないけれど、見る人がついつられて同じような感覚を感じて一瞬は、共感することがあっても、少し時間が経つと、「それはあなたの場合で、私はそんな感覚に浸る時間はありません」と言うこともまた個人主義の中で起きてしまう。それに対して、「見ゆ」に止まってる絵は、見る人が、見る人なりの見方を自由に広げることが出来ますし、その奥ゆかしさ、自分の全部を吐露しないことで、ふとその作家の控えめさに、「なぜ自分を出して来ないのだろう?」と逆に興味を持つことになりますね。
それで、その表現が強く出ているところが、川上さんの作品の場合、白いベースの余白にあると思うのです。この白い柔らかい下地は、誰にも染められていない未踏の地です。
川上さんが自分を出さずに残した部分でもあるけれど、しかし、例えばアメリカの抽象表現主義の作家たちの多くが意識的に使った生コットンキャンバスの、下地なしのキャンバス布地の塗り残しとは、全く異なる配慮が行われている部分です。この川上さん独特の白い下地の素材や制作方法を詳しくお話いただけますか?
また、その下地に至るまでの試行錯誤や、そのように下地を作ることに込めた意味を詳しくお話していただけますか?
川上:まず、「見ゆ」と「思ほゆ」というお話は、とても興味深く拝読しました。私はそのような視点で自分の作品を考えたことがなかったので、とても新鮮な驚きがありました。そのような角度から私の作品をご覧いただいたことを、大変嬉しく思います。
先ほどもお話ししましたように、私自身、制作では「自らは対象を見つめる立場でいたい」と考えていますので、その点に着目していただけたことは大きな励みになりました。
一方で、私は「見ゆ」と「思ほゆ」のどちらかが優れているというよりも、その移り変わりも含めて日本文化の豊かさなのではないかと感じています。
時代によって表現のあり方は変わりますが、その変化の中から、それぞれに優れた作品が生まれてきました。私は、その積み重ねそのものが、かけがえのないものだと思っています。
また、「個性」ということについても、私はあまり意識したことがありません。
私が大切にしてきたのは、個性的であることよりも、1つの作品として十分な質を備えているかどうかです。自己を前面に押し出した作品にも素晴らしいものがありますし、反対に作者の存在をできるだけ抑えた作品にも素晴らしいものがあります。どちらが正しいということではなく、最終的には作品そのものが持つ説得力が何より重要なのだと思っています。
先ほども申しましたように、私は画面の中では、自分の感情や手の痕跡をできるだけ残さないよう意識しています。それは自分(または個性)を消すためではなく、鑑賞者さまが作品そのものと静かに向き合える余地を大切にしたいと考えているからです。これは私自身の制作上の選択であり、個性の有無を評価するものではないと思っています。ですが、私の作品に「見ゆ」という言葉を重ねてくださったことは、私にとって非常に印象深く、大変光栄なことでした。
これからも、制作を重ねる中で考えを深めながら、ひとつひとつの作品の質を少しでも高めていきたいと思っています。
川上:川田さんが、私の作品の白い下地を「誰にも染められていない未踏の地」と表現してくださったことは、とても印象に残りました。そのような視点で見ていただけたことも、大変嬉しく思います。
私の制作テーマですが、正式には「熱帯 生々流転」です。熱帯を舞台に選んだ理由の一つは、太陽の存在です。太陽に照らされた世界はとても美しい。
画面に残る余白は、太陽そのものなのです。
また日本においても古くから太陽が特別な存在として大切にされてきました。この太陽に対する親しみや敬意のような感覚は、私の作品世界とも地続きなのではないかと感じています。
そして余白に惹かれるようになった、きっかけになる体験があります。
子どもの頃、雑誌から人物の写真を切り抜き、白い紙に貼って保存していた時期がありました。背景から切り離された人物が、白い紙の上で驚くほど強い存在感を持って立ち上がって見えたことを、今でもよく覚えています。それと同時に、白い背景そのものの美しさにも強く惹かれました。
この体験が、現在の画面づくりにつながっています。
現在は、白ジェッソとモデリングペーストを用いて下地を制作しています。以前はPVAと炭酸カルシウムを用いていましたが、研磨性や制作工程との相性を考え、現在の方法に落ち着きました。
3. 制作のペースとこれからの発表のかたち
川田:川上さん、少し遅くなりました。今晩もよろしくお願い致します。
下地作りの作業について話して下さって、ありがとうございました。丁寧な下準備によって、川上作品から醸し出される画面の緊張感やクオリティの高さが、画像からも伝わってきています。
しかし、この作業の下準備や、たくさんのエスキースの作り込みから想像できることは、大量に作品を準備できる作風ではないという点です。それは決して欠点ではなく、ご自分の制作のペースをコントロールする上で、大切にしていることがあるがゆえのことと思うのです。
実は、私も制作ペースのピッチをあまり上げないことにしています。時間に追い立てられて無理やり作るのは違うなと思いますし、どこかで焦りのようなものが作品に出てしまう、また身体を酷使するのも嫌だと思うからです。その代わりに、まずそういうニーズに応えなければならないようなチャンスは舞い込んできません。人からはデメリットと思われようとも、自分にとってはメリットしかないと思っています。
そこで川上さんは、作品制作のスピードや発表の頻度について、どのようにお考えですか?お客様は、たくさん並べられているところから選びたいと思われるとは思うのですが。
また、年間にどのくらいの作品数を手がけていらっしゃいますか?
作家の作品発表の仕方には、様々なあり方がありますが、個展発表、公募展、グループ展、グラフィックなどの二次使用など、ご自分に向いていると感じている発表の仕方はどういうものでしょうか?、あるいは、今後どういう側面からの発表を希望されているかについてお話しいただけますか?
今晩は、以上です。よろしくお願い致します。
川上:まず、川田さんのお考えを拝読し、とても共感いたしました。
作品には、それぞれに必要な時間があるように私も感じています。制作を急ぐことでしか得られないものもあるのかもしれませんが、少なくとも私自身は、1点の作品が完成するために必要な時間を大切にしたいと考えています。その考え方が、制作のペースにも、発表の仕方にも自然と表れているように思います。
人生の時間には限りがあります。その点から見れば、私の制作スピードは遅いのだと思います。しかし、限りある人生だからこそ、真面目に生きた時間の結晶として、よい作品を残したいと考えています。
繰り返しになりますが、私は1点の作品に取りかかる前に、多くのエスキースを制作し、構図や物語を十分に練り上げます。また、下地づくりにも時間をかけます。それらは一見すると遠回りのようにも見えますが、作品が私の生きた時間の結晶になると思えば、本制作と同じくらい大切な工程なのです。
もちろん、お客様にとっては、多くの作品の中から選びたいというお気持ちもあるかと思います。そのお気持ちはよく理解できます。
それでも私は、作品数を増やすことよりも、1点、1点が自分自身で納得できる質に到達しているかどうかを、何より大切にしたいと思っています。結果として制作には時間がかかりますが、その時間もまた作品の一部なのだと思っています。
年間の制作数ですが、現在の作風になってからは、小品を中心に年間3〜4点ほど制作しています。
私に向いていると思う発表形式についてですが、特別なこだわりはありません。ただ、現状を踏まえて考えますと、グループ展や、e-ART-h kikakuさんのようなオンラインギャラリーへの参加は、自分に合った発表の形だと感じています。
今回、e-ART-h kikakuさんに参加させていただき、作品だけではなく、その背景や制作に込めた考えまで丁寧に紹介していただけることを、大変ありがたく思っています。
作品は画面だけで成立させたいと思っていますが、今回こうして制作についてお話しさせていただく中で、作品だけでなく、その背景や考え方も含めてお伝えする機会をいただけたことを、大変ありがたく思いました。
そのような経験を通して、e-ART-h kikakuさんでの発表は、私に向いている発表形式の一つなのだと感じました。
今後についてですが、作品を必要としてくださる場所があり、ご縁をいただけるのでしたら、その一つひとつを大切にしながら、自分らしい歩み方で発表を続けていきたいと思っています。
【後編】結び(終わりの言葉)
現在、e-ART-h kikakuのWebサイト(川上 智久 作品紹介ページ)に並んでいる作品は、まだ2点のみです。
しかし、このインタビューでお聞きした通り、その2点の背景には、100点近くに及ぶエスキースの試行錯誤、1〜2ヶ月をかけて練り上げられる構図、丁寧に重ねられる下地、そして「自らは対象を見つめる立場でいたい」という、誠実で静謐な表現哲学が凝縮されています。
年間3〜4点という決して多くはない制作ペースは、川上さんが「自らの生きた時間の結晶」として、作品の質に徹底的に向き合っている証でもあります。
一枚一枚を自らにとっての「イコン」のように大切に描き重ねていく川上さんの「熱帯 生々流転」の歩みは、まだ始まったばかりです。
今後、この人のいない架空の熱帯雨林から、どのような新しい生命の姿が生み出され、私たちに届けられていくのか。e-ART-h kikakuでは、川上さんが紡ぎ出す一歩一歩の歩みを、これからも丁寧に見守り、皆さまにお届けしてまいりたいと思います。
川上 智久さんの今後の作品と活動に、どうぞ深くご期待ください。
川上 智久 作品紹介ページ:
平成15年 2003年 第40回 関西独立展(大阪市立美術館) 2点入選
平成16年 2004年 第41回 関西独立展 入選
平成16年 2004年 第72回 独立展(東京都美術館) 入選
平成17年 2005年 倉敷市立短期大学 専攻科 服飾美術専攻 卒業
平成17年 2005年 同 非常勤講師兼任助手 (~06年度)
平成17年 2005年 第42回 関西独立展 奨励賞受賞
平成17年 2005年 第73回 独立展 入選
令和4年 2022年 第57回 昭和会展 (日動画廊/東京、名古屋、福岡) 入選
令和4年 2022年 第12回全国公募西脇市サムホール大賞展 (西脇市岡之山美術館/兵庫) 入選
令和4年 2022年 第61回ミニヨン展 (2023, 2024, 2025, 日動画廊/東京)
令和5年 2023年 公募―日本の絵画2022― (永井画廊/東京) 入選
令和8年 2026年 第10回日動画廊洋画展(八木橋百貨店/埼玉熊谷)
他、岡山県内でグループ展に参加多数
現在、岡山市北区在住 山陽新聞カルチャープラザ講師
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